はじめに

どうもこんにちは!散歩人しょーんです。

 

今回は「怒り(争い)のマネジメント」について、みなさんにご紹介できればと思います。

 

最近ニュースで、ある国会議員が、元北方領土出身の方に対して「戦争でこの島を取り返すことに賛成ですか、反対ですか」と詰め寄った。

彼の質問の意図は分かりませんが、今回の発言を聞いて改めて「怒り」や「争い」について考えさせられました。

人は怒るとどうなるか

人は何かの事象に対して怒りを感じます。

その感じた怒りを相手にぶつけたとするとどうなるのでしょうか。

 

・怒りを相手にぶつける

・ぶつけられた相手も防衛本能で怒る

・お互いに怒ると衝突し、憎しみが増幅する

・衝突の結果、争うためコストが発生する(時間、費用、戦争の場合には多くの人命や資産)

・経済的、心理的、物理的なコスト以外にも、周囲から信頼性も低下する

・最終的にはどちらかが勝つ。ただしたとえ勝者となっても相手が多少弱くなるだけで得るものは少ない

 

このような流れで進みます。

結果、勝者は誰もおらず、怒りの結果、みなが傷ついて終わることが多いです。

信頼性の低下に係る費用(レピュテーションコスト)は、次世代に渡って払い続ける

怒りや争いは、その時代だけでなく、数十年に渡り消えない互いの損失を作ることもあります。

 

例えば、日本と韓国の関係は、今でもよいとは言えません。

それは、韓国において日本のレピュテーション(評価・評判)が著しく低いからです。

それは日本統治時代の悲しみや傷より今に続いています。

 

両国は近隣にある資本主義を標榜する経済大国であるため、協力し合った方がお互いに経済的に合理的です。

しかし、いまだに両者はレピュテーションコストを払い続け、協力すれば得られる莫大な利益を捨てて、十分に協力し合わないことを選択しております。

怒りたいときは、まず立ち止まる

あなたが誰かに怒りたいとき、戦いたいとき、ちょっと待ってみてください。

怒りには互いにコストがかかります。関係性が悪くなり、業務が続けられなくなることで給与が得られなくなるリスクがあります。

場合によっては互いに消えない傷を負い、一生払い続けるコストが上乗せされることになる可能性もあります。

 

どうしても怒りが消えないとき、そのときはその場を立ち去りましょう。

怒りは時間が経てば収まることが知られております。

 

職場や近所に怒りを抱えてしまう発生源があるならば、職場を変えたり、引っ越しして環境を変えることも解決方法の一つです。

「三十六計逃げるに如かず」、という作戦は今になっても使えます。

韓信の股くぐり

中国に「韓信の股くぐり」ということわざがあります。

古代中国で後に漢の大将軍にになる韓信は、若いころにある街の不良たちにからかわれた。

「立派な剣を差してるなら切りかかってこい、でなければ俺の股をぐぐれ」と。

彼はからかわれて徴発されたとき、ケンカを選ばす、彼らの指示のどおり相手の股をくぐって大笑いされたという。

 

彼は自分が戦うタイミングが今ではないことを知っていたのであろう。将来大事を成すと考えていれば、不良の挑発に乗ってケンカをしてしまって、大けがでもしたらよくないと、韓信は考えていたのだと思われる。

 

もちろん怒りも人には大切な感情だと思います。

人に怒りがあるからこそ、、社会の正義が維持されることもおります。

(カトリックの腐敗を見たルターによる「95か条の掲題」、王家の贅沢三昧からの市民によるフランス革命、不正な豪商に怒る大塩平八郎など)

 

ただし、怒りにはコストが伴います。

その代償を払ってでも怒る必要があるのか、今がそのタイミングなのか、

枚数の少ない怒りのカードをどこで使うのか考えることが、人には求められているのかも知れません。

おわりに

いかがでしたでしょうか。

今回の内容は個人の気づきにはなりますが、皆さんに少しでも適用できるところがあれば嬉しいです。

 

太宰治の「走れメロス」も、王の邪知暴虐を見て、正義感に燃えて激怒します。

ただしその結果、彼は自分自身だけでなく、友人のセリヌンティヌスの命を危険にさらしてしまいました。

 

怒りを感じたときはまずはその場を離れる、ランニングする、深呼吸をする、むしろ感謝するなど、

普段の怒りは、穏便にマネジメントしていった方がよいのかも知れません。

自身にとっていつかくる、本当に必要な正義のための怒りが来るときを待ちながら。

 

 

今日も読んでくださってありがとうございます。

今日1日もみなさんがすてきな1日を過ごせますように。

 

散歩人しょーんでした