はじめに

どうもこんにちは!しょーんです。

 

本日朝の出勤時に、「主義ではなく、人を愛する」生き方をしていきたい、と思い知らされたことがありましたので、みなさんにご紹介できればと思います。

本日朝の最寄り駅のエスカレーターの前で

今朝、出社のために最寄り駅までエスカレーターで登ろうとすると、左側に議員候補者のチラシを持った女性が笑顔で立っていた。

彼女はチラシをエスカレーターに登る人たちに手渡そうとしていたが、ほとんどの人はそれを受け取らない。

 

私は何気なく彼女の左側に立て掛けてあった彼女の政党が書かれたポスターを見て、私と考え方が異なる党の方だと知った。

私は普段、自身と合う考え方の政党の方に対しては、チラシを受け取ったり、「おはようございます。頑張ってくださいね」などと笑顔で声掛けをする。

しかし、合わない価値観の方である場合には、他の多くの方々がそうするようにチラシは受け取らず、黙ってそのまま歩き去っていく。

 

今回も同じように歩き去った。

その後に、ふと、思い出した。

私は「世界中を幸せにしたい」と考えている、それにも関わらず、価値観の違いで、その態度を変えてしまっていいのかと。

限定付きの愛 と 天敬愛人

私は重大な間違いに気づき、今電車の中でこれを書いている。

西郷隆盛の愛した言葉で、”敬天愛人”がある。彼はこの「天を敬い、人を愛する」という言葉を愛したと言う。

 

「人を愛する」と言うのは、主義や主張、宗教、国家、人種が同じ立場の人を限定して愛するわけではない。

かつて、イギリスの看護師ナイチンゲールは、クリミア戦争に従軍した際に当時では考えられなかった、敵兵についても同じように分け隔てなく命を救った。

彼女の目的は自国の兵士とその友軍の命を救うことではなく、ただ、「命を救う」ことだった。

 

主義や宗教の違いで愛の範囲を定めた場合には、それは平和ではなく、争いにつながる。

かつてヨーロッパで発生した十字軍や宗教戦争、太平洋戦争、米ソの東西冷戦、現在のイスラム原理主義と欧米価値観との争いなどは、

まさにこの「愛の範囲の限定」により、生じていないだろうか。

 

私が彼女の渡すチラシを無視して通り過ぎた時に、私の心にもどこか、この「愛の範囲の限定」があったように思える。

 

昨今のメディアの報道を見ても、北朝鮮や中国、場合によっては韓国に対しても、ネガティブな報道が多く、どこか、彼らとは明確な線引きをおこなっている印象を持たないだろうか。

彼らとは国が違う、主義が違うのだと。

 

ナイチンゲールがそうしたように、あるいは西郷隆盛が敵味方なく人を愛したように、私も主義や主張で愛の範囲を限定するではなく、「人を愛したい」と思います。

世界中の幸せには、「愛の範囲の限定はない」と思うからです。

 

次にその方とまたエスカレーターの前でお会いときは、「おはようございます。お疲れさまです」と、笑顔でお伝えしたいと、そう思いました。

おわりに

いかがでしたでしょうか。

 

今回の内容は個人の気づきにはなりますが、皆さんにも少しでも適用できるところがあると嬉しいです。

自身の愛を範囲を、主義や条件で限定するのではなく、いったん「人を愛する」という生き方を選ぶ方が、自分自身の幸せにもつながるかもしれません。

 

今日も読んでくださってありがとうございます。

今日1日もみなさんがすてきな1日を過ごせますように。

 

散歩人しょーんでした。